アルコール依存症で入院体験Ⅲ

Ⅱの続き

入院初日の体験をⅡに書きましたが、そこに至る経緯を書きたいと思います。

初めて大量に飲酒したのは、大学入学後、空手道部の新入生歓迎コンパの席でした。先輩・OBたちから止むことのない返杯。最後の方でブラックアウト。

気がついたら、仲間のアパートに運び込まれていました。よく「急性アルコール中毒」にならなかったなあと思います。

その後、在学中は、友人との飲み会や合コン位の頻度で飲酒するぐらいでした。

卒業後、就職し、それでも月に1・2回の仲間との飲み会程度でした。

27歳で結婚し、結婚当初も晩酌といったことはやっていませんでした。

30歳過ぎたあたりから、少しずつ晩酌をするようになり、ウイスキーのボトルをだいたい1週間位で空けるペースとなっていました。

その頃は職場での飲み会や友人との飲み会の席では必ずと言っていいほど、記憶消失がありました。

ただ、飲酒しないときの離脱症状など全くなく、アルコール依存症との意識も微塵にもありませんでした。

そんな状態がしばらく続き、何事もなく日々過ごしていましたが、夏休みの家族キャンプで飲酒による大失態。妻からもさんざん叱られ、その時断酒を決意しました。

特に苦痛もなく断酒に成功しそのまま約7年間、飲酒欲求もなくアルコールから遠ざかっていました。

今から2年ほど前、狭心症を患い、緊急にステント挿入の治療を受けました。一晩だけの入院でした。

退院後、ちょうど冬休みでもあり、こたつに入っていると、妻から「ちょっとお酒のんでみたら」と言われ、最初は全く飲む気はありませんでしたが、その日の夜、本当に久しぶりにお酒をお猪口で1/3位の量を飲んでみました。

たったそれだけの量で、顔が赤くなり酔ってしまいました。

その後、お猪口1/3飲酒が2ヶ月ほど続きます。

年明けの2月、事故で車を廃車にしてしまい、その落ち込みから飲酒量が一気に増えていきました。増えたといっても缶酎ハイ1缶くらいの量です。最初は1缶で満足していたものが、1ヶ月経つ内に2缶、それが500mlへと日に日に量が増えていきました。当時の飲酒量はだいたい500mlを2缶/日くらいでした。

やがて、仕事帰りに立ち飲み屋に寄るようになり、それから、毎日寄るとお金がかかるので仕事帰りはコンビニ飲みや駅飲みに変わっていきました。

夕方飲んで、その繰り返しの日々。その当たりから妻から「お酒止めたら」と指摘が出るようになりました。また、「アルコール依存症じゃない?」との指摘もありました。

自分では、そんな依存症になるはずがない、と言い張り、飲み続けていました。

年が明け、年始に病院に行く機会があり、そこで、「アルコール依存症だと思います」と看護士さんから告げられました。

そこの病院で専門病院を紹介され、その日のうちに、診察を受け、「アルコール依存症」と診断されました。専門科からそのような診断をされ、やっと入院を決意するに至りました。

ここからⅡに続きます。

続く・・・!